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はじめまして(旗揚げパンフレットより) 「お母さん、ホタルが僕の手で交尾しよる」歓喜の声をあげたのは小学校4年生の長男でした。東に恵那山、北に御岳山、西に二ツ森が見える恵那の地に来て、子どもたちがはじめて出会ったのは、野山の小さな虫たち、夕焼け空をクルクル飛びまわるトンビの群れ、畑のジャガイモの花、ゴマの花、名も知らぬ草木の花、そしてなんじゃもんじゃの花でした。家のたんぼの端に自生する樹齢二百年ぐらいの「なんじゃもんじゃの木」は学名ヒトツバタゴと呼ばれ、木曽川中流と対馬の北部にしか生えていない大変珍しい木です。昔の人は、名前のよくわからない木を「これはなんじゃ」という意味で「なんじゃもんじゃ」と呼んだそうです。 五月の初めに田植えをすませると、蛙の鳴き声が雨音を消し、その月の終わりにはなんじゃもんじゃが雪のような白い花を咲かせます。六月は蛍が舞い、八月は畦ふちの水草をよけると赤腹のイモリが群れをなしています。時の流れが稲を育て、蛙を鳴かせ、土手原の草を育てます・・・。この自然の移り変わりに身を寄せていると、鳥や虫や獣たちや草木に、生命の不思議を教えられます。 劇団うりんこ創立以来「子どもたちのいるところならどこへでも出かけよう」と西に東に芝居を運び続けて来た二人が、人生の折り返し点で故郷へ戻り、新たな芝居創りの旅立ちをなんじゃもんじゃから名前をもらい劇団「なんじゃもんじゃ」としました。 未来に生きる子どもたちと共に歌い、笑い、戯れながら、芝居を創り、ここ恵那の地に劇団「なんじゃもんじゃ」を自生させていきたいと思います。 西尾瞬三 西尾夏子 |
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旗揚げに寄せて下さったメッセージ 故しかた・しん氏 ふじたあさや氏 故赤座憲久氏 後藤武弥氏 |
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地続きの舞台で肌のぬくもりを伝え会えるような劇団を 中津川の地に素適な劇団が生まれた。夫婦二人の劇団"なんじゃもんじゃ"である。 ご主人、西尾瞬三くんは人も知る名古屋の劇団うりんこの、中心的な俳優であった。均整のとれたキメ細かな演技づくりは定評があった。 奥さんのナッチンこと夏子さんは、思い切った大胆な表現力で、ことに幼稚園・保育園の芝居では人気ナンバーワンであった。 二人に共通しているのは、その人柄の滲み出た暖かい演技であった。 さて、この劇団のレパートリーは"語り"を中心とした、客と地続きのフロアでのお芝居になろう。これこそは、二人の人柄と相まって、幼児、低学年の演劇としては最もふさわしい形である。手で触れ合うことのできる所での、息の合った二人のお芝居。 これは劇団うりんこでも、どうしてもつくることのできなかったお芝居の形であり、他の劇団でも不可能なお芝居なのだ。 その意味でも、改めて言いたい。 中津川の地に、日本でただ一つの素適な劇団が生まれた、と・・・。 |
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旗揚げによせて 西尾瞬三君とのおつきあいは、もう十四年になる。劇団うりんこで初演し、東京の劇団えるむで二千数百回の続演をしている「ベッカンコおに」の、栄誉ある最初の主演者でその頃から若いくせに味のある、いい役者だった。その後も、「おっちょこちょ医」のシブシーブじいさんや、ひとり芝居でとぽけたいい味を見せてくれた。劇団の事務局長時代(これがまた名事務局長だった)には、なにかとお世話になった。 「ベッカンコおに」の稽古の時、稽古場をのぞきにきた新婚早々の夏ちゃんが、芝居を見ていて、突然声を上げて泣いたことがあった。主人公が可哀想だというのだ思わぬ事態にうろたえながら、感動を与えた当の本人も、目を赤くしていた。ぼくはいっぺんにこの二人が好きになった。演劇に一番必要な感性をこの二人はもっていると思った。 その信頼できる二人が旗揚げする。演劇が都会だけのものではないことを証明するために・・・ぽくにはそう思える。大賛成だ。ここは一番、応援団を組織したいと思っている。 |
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劇団「なんじゃもんじゃ」の旗揚げ 赤座憲久 もう一年半ほどになるが愛知大学で児童文学の学会が開かれたとき、そこの講堂で、作=吉村登、演出=しかたしん、出演=西尾瞬三の一人芝居「雨ニモ負ケズ野ざらし紀行」を観た。全国から集まった研究者の集まりが、改めて「語り」について、考えあったあとだけに、参会者の心の奥深くを強く揺すぶった。 劇団うりんこのしかた氏とは古い友人なので、あとで西尾さんのことをあれこれ話しあい、岐阜県でも皆さんに観てもらいたいなと思った。その西尾さんが、はからずも、恵那山が眺められ、独特の文化の伝統をもつ故郷恵那に根をおろし、われわれが二十年間月間「コボたち」を積み上げて来たと同じ、子どもの文化の一翼を担ってくださるという。 ご家族と共に旗揚げされる劇団「なんじゃもんじゃ」がそれなのだ。まことにさわやかな壮挙に、拍手をおくりつづけたい。 |
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そのエネルギーに励まされながら 劇団うりんこの創立当時から中心を担っきたお二人(私達が呼ぶところの「ホンメん」と「ナッチン」)が恵那郡・福岡町で「劇団なんじゃもんじゃ」を旗揚げし活動を開始する。自宅の倉庫を改造した稽古場は、劇団うりんこのかってのプレハブの稽古場と重なって懐かしささえ感じられ居心地はとてもいい。その稽古場は近くに付知川の清流と''ふたつ森,,の稜線が美しい所だ。時間の流れもゆったりとして、ものづくりの場所と、しては最適といえる。 旗揚げ公演に梅田俊作・佳子さんの絵本の仕事から題材を得たことは、劇団「なんじゃもんじゃ」にとてもあっているように思う。子どもと家族の関係、動物や自然との交流が、遊び心で一杯に満たされていて、現代人の心の渇きを癒してくれるからだ。劇団なんじゃもんじゃの出発もここにあると理解している。論理的なホンメくんと感覚的なナッチン。この絶妙なコンビがそれぞれの持ち味を発揮した作品づくりで、この地域にあらたな祝祭のノロシをあげようとしているのだ。私などはただただそのエネルギーに驚かされ励まされているというのが正直なところだ。 |
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劇団うりんこ時代の「ベッカンコおに」中央ふじたあさやさん |
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なんじゃもんじゃ祭りに来てくれたしかた・しんさん |
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うりんこ時代「まわせまわれピストンクランク」後列右後藤武弥さん前列右西尾瞬三 |
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うりんこ時代「まわせまわれピストンクランク」新聞記事 |
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