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悔悟の記録 2005年 彦根おやこ劇場 

なんじゃもんじゃさんへ

 今日は。瞬三さん夏子さん相変わらずお元気ですか?

先日は大変お世話になりなり、本当にありがとうございました!! お二人ともとても忙しそうで、もっと色々とお話をしたかったのですが、ほとんどお話する時間もなく、ちょっと残念でした・・・が、なんじゃもんじゃさんの舞台を久しぶりに見ることができ、幸せ感でいっぱいでした。滋賀で舞台を見た感想を伝えられなかったので、ここで、私の思いを伝えようと思います。

 私は今回、偶然にも広島に帰る数時間前に、鹿児島の実家でなんじゃもんじゃさんの新聞を読み、私もまた観に行きたい!! と思い、幼稚園実習中でありながら滋賀へ見に行くことを決めました。朝の舞台が始まる前、自分がそこにいることが嬉しくて、夢のようで涙が出そうでした。でも面白い舞台が始まる前に一人で泣いていたら絶対おかしい人だと思い、気合いで涙を止めました(笑い)。今私は、保育士や幼稚園の先生を目指していることもあり、なんじゃもんじゃさんの舞台を観ている子ども達の反応や様子を見て、子ども達はこういう動きやこういう言葉が好きなんだ! と自分の引出しに入れ、やっぱり前とは見る目が変わったなあと,感じました。でも、舞台のほとんどは子どものように時間を忘れて夢中になって見てましたけどね(笑い)。

 

 悔悟の記録では、戦争が生み出す悲惨さを身に沁みて感じました。舞台の途中で、私はそこの空間の重々しさに気づき、大きな深呼吸をすると、また舞台へと引き込まれていきました。

 私の祖父も、戦争へ行った過去がある。以前、祖父から戦争の話を聞いた時、戦争の恐ろしさを感じた。私の祖父は、内田老人のように戦争で人を殺してはいないが、瓦礫の下になり、病気になり、死人とみなされ、日本に帰ってくるのも命がけだったということを聞いた。もし私の祖父が日本に帰ってこなかったら私の母の存在もないし、もちろん私の存在もない。そう考えると、本当に恐ろしい。今、人一人殺したら、殺人者となり牢屋に入れられるのに、戦争で人を殺したら、殺した人の数だけ英雄になれる。戦争って何だろう。戦争って何の為にするんだろう。国の一番上の人達の利益、考えだけを優先しその為に多くの一般市民が犠牲になっていい筈がない。日本にいる私達は、今、こうして平和な生活を送っているけれど、近い将来、戦争が起きてもおかしくないのではないだろうか。私達、若い世代がもっと戦争について知り、戦争反対を訴えていかなければならないのではないだろうか。自分がいつ加害者になるのか分からない、もしかしたらいつか内田老人のように加害者になる日が来るかもしれない、そういう恐ろしさを感じた時間だった。

 この地球上で、今なお、戦争をしている国がある。毎日平和な中で暮らしているから、そんなことも忘れてしまいそうだ。同じ一つの丸い地球に生まれ、住んでいるのに、なぜ争う必要があるのだろうか。相手が違う考えを持っていて当然である。それを、広い心で受け止めれば、自分の利益ばかり、欲ばかりを優先しなければ、きっと戦争はなくなるだろうと思う。

 内田老人は確かに人を殺した。内田老人が加害者であることは事実だが、戦争が生んだ被害者でもあると思う。最初は、この老人は本当に人を殺したのだろうかと、目を,耳を疑うほどで、本当に信じられないほど穏やかで心の広い老人がそこにいた。でも、彼は確かに人を殺したのだ。328人の中国人を・・・。芝居を観て行く中で、そういう気持ちへと変わっていった。お芝居を観終わった後、母に電話をした。母は「戦争で沢山の人を殺したなんて、誰も言いたくない。だけど、内田さんは、そうやって戦争の悲惨さを伝える為に、自分の辛い過去を全て語っているのだから、すごい人だよね。」と言った。確かにそうだ。自分が内田老人だったら、自分の辛い過去を語ることすらできないのに・・・。内田老人から見ると、私の過去の辛さなんて、目に見えないほどのちっぽけなものかもしれない。私は今、具体的にどんなことをすれば良いのか、真剣に考えていきたい。そして、実行に移していけたらと思う。

 私が小学生の頃、なんじゃもんじゃさんが鹿児島に来てくださった時、私がなっちんの前でバイオリン演奏をしたことをすごく覚えていて、心に残っている。私は自分のバイオリンの音に自信がなく、家族以外の人に自分のバイオリンを聴かせるなんて一度もありませんでした。でも、なっちんがバイオリンを始めたこともあり、自分の気持ちに共感してくれる人だ! と、なっちんに心を開き、バイオリンを弾きました。私はその時はまだ子どもだったけれど、子ども扱いではなく、自分のことを一人の人間として受け止めてくれるような、そんな雰囲気を、なんじゃもんじゃさんから感じました。そして、そんななんじゃもんじゃさんを尊敬しています。私もなんじゃもんじゃさんのように、子どもと、一人の人間対人間として関われるような保育者になりたいと考えています。

 長い文章になってしまいましたが、呼んでくださって、ありがとうございます。また会える日を楽しみにしています。今度はなんじゃもんじゃの木を見に行きます。

悔悟の記録 2012年6月23日 【慰霊の日】沖縄・南風原文化センター 

今日は約2時間、ひとり芝居を見せてもらって、まず人を鬼にすることや人としてはいけないことを平気でしてしまう残酷なものだと思いました。実際に戦争の中を生き抜いた人の話を聞いてみると「自分は何をしていたんだ?」「どうして人をこう殺せたのか?」そうゆう話をしていました。今なお受け継がれる戦争の記録そのことを忘れずにいつまでも僕たち若い世代,その次の世代へと伝えていきたいです! 小学6年生

語るにはあまりにも衝撃的な内容でしたが、とても勇気ある行動。すごいことと思います。49歳

平和を考える作品に出会え感謝します。役者が語る事で事実を受け入れ、残酷の時間を感じました。作品を紹介して下さりありがとうございました。 30代

戦争の事戦後も続く心の痛み・・・。いろいろ考えるきっかけが出来ました。 40代母

 昔は鬼のような憲兵だった人が変われるんだなと思いました。この憲兵のような人も中国の人をこんなに苦しめたのに中国の人が優しく接してくれると心が痛かっただろうな、とっても悪い事をした。と思ったと思いました。 小学6

沖縄戦ではなく中国、ソ連でもとてもこわい戦争があったことを知りました。人は一回人を殺すと心が狂ったみたいになっていろいろな人を殺すことも分かりました。 小学生

沈黙を破る勇気に感動しました。このような体験を多くの方が心に秘めていると思います。沈黙を破り真実を語ることで私たちは希望にみちた未来を想像することができるような気がします。 60代

あまりにも生々しくて、思わず口をおおったりする場面が度々ありました。ホントに人間はどうにでもかわれるものだと恐ろしくなりました。どうか人間らしく生きられる世の中が永遠に続くようにと祈らずにはいられません。とても重い重い思いデス。 50代

映像や書物でなく生の語りで伝えることの効果を実感しました。日本はなんて取り返しのつかない過ちを犯してしまったのかと改めて。十分な償いは勿論せめて二度とくり返さぬことしかない。今を生きる生き続ける我々は!50代

ふだんは戦争体験者のお話しか聞いたりしないけど、今日は劇で実際に戦争で人を殺した人のお話を聞いて、戦争中はこの話を聴いてイメージしてるよりずっと残酷だったのかと思っていろいろ戦争について今までよりもっと改めて戦争の恐ろしさや怖さがわかりました。私が大人になってもこのお話を次の子ども達に話していけたらいいなと思いました。 小学生

6月23日意味のあるこの日にいい講演、舞台に出会うことができよかったです。沖縄、満州場所は違えども“人間が人間でなくなる”みにくい戦いがあった事実———。“事実は重い”でも、この重みを忘れてはいけないーーー。そう強く思った慰霊の日になりました。 40代

深く考えさせられました。真実を語るために多くの人にみてもらいたい。真の平和、戦争のことを考え伝えるために。6.23にできたことを考えさせられた。 60代

昔のでき事だと片付けられない舞台です。時をみきわめていく力が一人一人必要だと思いました。 50代

日本人が中国でやったことを改めて個人の手記で事実を確認した。軍隊は何なのか。軍隊の名だけで許されて来た殺人に納得できない、いろいろ考えさせられる内容です。教育・人間の心・・・。 50代

またひとつ自分達の知らない戦争の話が聞けて勉強になりました。もっと沢山の人にもこの芝居を見てもらいたいと思いました。 中学生

とってもざんこくでした。聞いていても、とても、かなしくなりました。沖縄の他に中国などでまたちがった戦争体験が見れて良かったと思います。 10歳以下

今日は沖縄戦の一人芝居の記録が聞けると最初思ってここに来た。学校の授業でかじった日中戦の話し。しかし私は沖縄戦の友軍の島民にして来た、むごすぎる出来事と重ねて、今日の一人芝居を聞いた。憲兵とは何? 戦争とは何。真の平和を深く考えていくのと同じに。私は沖縄戦を語れる人になる語り部になりたいと思う! 40代

セットがこっていてよかったです。一人芝居ということでどんな風なのかと思いましたが迫真の演技に魅せられました。 20代

満州事変のこと、その名称と年号しか知らなかったが、一人の人の証言により、こんなに残酷な言葉では言い表せない程の歴史的事実があったことを知った。虫けら一匹殺せなかった善良な人が何の罪もない人間として幸せな人生を全うしていく権利のある人々も何人もでっち上げ等により殺せるのか。戦争の恐ろしさむごたらしさ、被害者も加害者も一生を幸せに全うできなくなることを、この一人芝居で知ることができた。新たな事実を知り、あのような世の中になることは何が何でも阻止しなければと思った。ありがとうございました。 40代

一人芝居はとっても聞こえやすく分かりやすかったし、昔にこんなことがあったとは知らなかったです。今日は本当に来て良かった。 30代

内田さんの憲兵としての働きには聞くに耐えない部分が多かった。これも戦争が引き起こした事で内田さんもその犠牲になった部分があると思う。しかし中国の戦犯に対する対応は納得がいかない程寛大であった。戦争が人を鬼のように変えてしまった事実を伝える事は大事な事で、二度と引き起こしては(戦争を)ならない!! 40代

途中からの参加で失礼しました。生々しい証言に・・・。日本兵の犯した罪深い憤りを感じました。罪を犯したのに、あれほどひどいことをした日本兵に対して死刑の宣告もせず・・・国の教育の違いなのでしょうか。軍国主義だったゆえの犯罪、命令だったので罪がとわれないのでしょうか・・・。しかし人間として後悔の念にかられたとも、いったいどうやって自分の罪の重さを感じたでしょうか。私には想像できません。でも、よく告白して下さったなと、その勇気と本当に反省したんだと深く思いました。この人自身も戦争の犠牲者ですよね。 40代

まばたきを忘れる程引き込まれました。自分が暮らしている国が起した戦争が何であったか、それをどう受け止め伝えていけばいいいのか、また戦争に関わらず自分がどのように生きていくべきか、生きていくことができるか、ということを考えさせられました。 学生

聞いていて苦しかった。でも最後は少し良くなっていました。 50代

大変重く感じました。 60代

今日、328人もの人を殺した人がお芝居をしに来ていました。でもその人は殺したくて殺したんじゃないんだと知れて良かったです。もしかしたら楽しくてやっていたのかなぁーと最初に思いました。でも戦争の中のことがくわしく知れて本当に良かったです。これから平和学習があるので、この経験をいかしていきたいです。 小学生

軍隊の本質がわかった。 60代

とても貴重な時間をすごせた様に思います。言葉では言い表せませんが「人が変わってしまう」事の恐ろしさ悲しさを痛感しました。 学生

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Taro

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ベッカンコおに 2012年7月24日 東京フォーラム 8月4日 飯田人形フェスタ 

・とても二人で演じているとは思えません。シンプルな演出、スッキリ。ゆきの衣装舞台の和の装置がしっとりと素敵。

・泣きました。人形とのコラボ素晴らしかった。会場の空気がすごかった。魂をえぐるような場面とほっとする場面が入り交じるなんじゃもんじゃさんの世界が素晴らしかった。

・とても素晴らしかったです。なんじゃもんじゃさんはずっと気になってましたが、なかなか観れる機会がなかったので今日観られて良かった。私も鬼になったことが有ります。そしてもしかするとまた鬼になってるかも。鬼になってしまう人。業なのでしょうか。

・以前きずだらけのリンゴを拝見したことがありますが、感動と淋しさの両方を持ち合わせているなあと思いました。いろいろ考えさせられる作品です。

・とにかくお二人の演技が素晴らしいかった。工夫と言う言葉が浮かんだ。情熱と言う文字が浮かんだ。拍手!! もっと他の作品も観てみたい。狂言お能が大好きな私にはお面もとても好ましかった。

・リーフレットの写真だけで期待して選びました。期待以上で本当に素晴らしく感動しました。また是非観たいです。音楽も舞台装飾、演出もすべて良かったです。夫婦お二人の息がピッタリでした。これからも頑張って下さい。お疲れ様でした。

・最初の歌でやられました。鳥肌ぞわぞわでした。多分他の劇団の作品で観ているはずなのに、おにの目を開ける場面でじわりと涙が出ました。壮大な音楽がマッチして、昔話という印象が消える、現代のお話かと思って観てしまいました。素晴らしかったです。

・こんばんは。岐阜へ戻られましたでしょうか。フォーラムでの公演おつかれさまでした!大好きな作品ベッカンコおに、本当に嬉しく、しみじみとどきどきと、観劇しました。いろんな表現が、日本にはあるのだなあと、一緒に観た友人と、話しました。ふたりの俳優がつぎつぎと舞台を展開し、優しく、厳しく、はこばれてゆく時間を堪能しました。すばらし かったです。嬉しかったです。いつか、仲間と一緒に、劇団なんじゃもんじゃをおたずねしたいと改めて思いました。今年は「ブンナよ、木からおりてこい」を上演しました。ブンナを演じてくれた若い俳優は岐阜の出身で、長良川のみえる実家は、こんにゃく屋です。そんなことも思いながら、背景の布の山々をみていました。こんな環境のなかで創造される演劇を感じいりました。劇団なんじゃもんじゃの優しさが、耳や目にしみいる時間でした。わたしたちも、がんばります。またお会いしたいです!お元気にお過ごしくださいありがとうございました

 

飯田フェスタ 2012.8.4

・二人であそこまで出来てすごかった。鬼ってなに? と考えられる。 13才

・この日本に鬼が大きな鬼がいる。民が苦しめられている。鬼の内にいる優しい心が沢山表に出るといいですね。少し説明が多すぎるのでもう少し台詞の整理が必要かも。 68才

・人形が最後には人に見える程に良かった。 53才

・とてもていねいに作られた作品で感動しました。これからも頑張って下さい。応援してます。二人の息がピッタリですね。 50才

・悔悟の記録にあるテーマを強く感じました。これからもまだまだ成長して行く作品だと思います。次にどうなるか楽しみです。 55才

・お二人ですばらしい舞台を創っていられてすごいです。大感激。飯田に来て良かったです。68

・ものすごく感動しました。人間も鬼になってしまう。今の時代、あり得ることです。お二人の息の合った心のこもった芝居。本当によかったです。 45才

・鬼の仮面は同じはずなのに、後になって行くにつれてどんどん優しく、カッコよくなって行きました。ゆきも人形とは思えない動きがすごかった。かわいらしかったり。最後はただただ悲しくて泣けてしまいました。二人でやってるとは思えない迫力でした。 36才

・何度観ても涙が出ます。 52才

・すばらしかったです。しっとりとお話のテーマが伝わって来ました。泣けました。 56才

・すばらしかったです。二人の物語りに対する真剣さが伝わり、涙して観てしまいました。物語りにすっぽり入り込んでしまいました。すごかったです。 64才

・いろいろ考えさせられる作品でした。お父さんはどうすれば好かったのでしょうか? 音楽が良かったです。53才

・お二人の熱演素晴らしかったです。 47才

・福知山でお待ちしています。最高でした。泣きました。ありがとう! 59才

・いいお話でした。これからも心に残るお話お願いします。50才

・とても良かったし感動しました。人形を使ってのゆきもとても良かったと思います。本当にとても素晴らしい舞台でした。観にきて良かった。46才

・素晴らしい! この作品のテーマをしっかり捉えて台詞と動作と衣装がぴったり合っていて息つく間もなく観せて戴きました。ありがとうございました。65才

・お二人だけなのによくぞこのドラマチックなお話を! 感動しました。

・素晴らしい作品でした。これからも頑張って下さい。

・素晴らしい内容でした。感動しました。歌も心地よくとても良かった。別の作品も観たいです。53才

・とても感動しました。65分ステージに引きつけられました。スゴイです! 45才

・すごく良かったです。二人でやっているようには思えない程の構成です。感動しました。55才

・ゆきの人形の細かい所まで表現されていてとても美しかった。ベッカンコおにも面をされていてもおにの気持ちが表現されていて良かった。 33才

・泣きました。すごく良かったです。鬼とゆきがだんだんかわいく見えてとても魅力的です。ラストはすごく良かった。他の作品もまたみせて下さい。ありがとうございました。34才

・素晴らしかった。鬼—現代の世にも一杯。 59才

・良かった。内容も十二分でした。お二人ともに米寿まで頑張って下さい。63才

・初めて拝見しました。とても感動しました。これからも頑張って筒せけて下さい。また観たいです。26才

・初めて観劇しました。最後までとても素晴らしいものでした。これからも長く続けて下さい。子ども達もとても良く観ていられ又大人も楽しかったです。 62才

・お二人の息の合った舞台とてもステキでした。 49才

・思いがけず深い内容の劇でした。熱演ありがとうございました。 64才

・とても面白かった。ありがとうございました。今の社会の状況で人間について考えさせられました。68才

・違う世界に入ったような感じがしました。とても楽しかったです。感動しました。 13才

・何て書いたら良いか・・・。演技も内容も観てよかった。舞台も素晴らしかった。63才

・始めのうたは楽しく笑ったりしていたが、最後は体がぷるぷるふるえてきた。12才

・とても哀愁があって良かった。人形で哀愁を表現することは、ともすると『期待していない喜劇』となってしまうが、そういう面は全くなかった。51才

・今年5月蛭川のナンジャモンジャを見に行きました。人は繋がっているなあーと感じています。私は鬼か 鬼にならないよう心を正しました。たった二人での舞台に観劇です。又みたいです。とにかくすごい! 53才

・今は言葉が思いつきません。すごく心ゆすぶられ。銃声カラスの声はもっと別のものを。32才

・壮大なテーマ。深遠なテーマを扱う作品作り素晴らしいです。二人だけであの世界を仕上げられるなんじゃさんはやはりすごいなーとおもいます。『きずだらけのリンゴ』以来、また人の心真理をかんじせてもらいました。お体を大切になさって頑張って下さい。 44才

・様々なアイディアが光りました。楽しませて頂き涙も流させていただき良かったです。50才

・内容演技ともに感動しました。54才

・演出 とても素晴らしかったです。熱演 いろんなものが伝わって来ました。55才

・心温まるお話ありがとうございました。 62才

・山母さまがとても美しかった。56才

・人と鬼、まさに紙一重。私も人、鬼にならないように人として生きて楽しみたいと思いました。

・私ももう60才です。頑張って下さい! 59才

・大変良い劇をみせて頂きました。どうなるのか。幸せに終わって欲しいと思いましたが、やっぱり人と鬼は幸せになれないのでしょうか……。迫真の演技でした。選んで良かったです。49

・鬼とは人間とは何か考えさせられました。しっとりとした雰囲気で良かった。63才

・大人も十分に楽しめました。久しぶりに涙して観ました。これからも頑張って下さい。54才

・舞台作り丁寧でとてもきれい。良い作品を作って下さいました。57才

・相変わらず丁寧な作品ありがとうございました。この作品大好きです。お疲れさまでした。48

・劇に引き込まれました。素晴らしかったです。 81才

・歌もお話も背景もとても素敵でした。 50才

・ラストの歌が心に残ります。部大がステキです。ステキなお芝居を続けて下さい。

・構成が良い。また来年も観たい。 51才

・娘はゲンタくんとアカネちゃんに会えると思っていたのですが、ちょとびっくりした様です。ステキな舞台でした。お話もよくてまた泣けました。いつも愛情がテーマになっていて、大事なところに気づかされます。心に住む鬼についても考えさせられます。38才

・感動をありがとう! 67才

・調度『鬼』を題材にした脚本を書いていて参考の為に観劇したが、鬼と人との愛に心から感動しました。いい劇をありがとうございました。26才

・二人のお芝居とは思えない。観いってしまいました。観客の子どもたち、大人のマナーもとても良く飯田の方は見慣れていますね。

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おこんじょうるり 2011年5月4日 

「おこんじょうるり」の人形語り芝居よかったー!

  昨日は、おやこ劇場の例会でした。他劇場の方々と多くの仲間で、鑑賞できてよかったでーす。劇団なんじゃもんじゃのなっちゃんの一人語り芝居でした。絵本でもお馴染みの「おこんじょうるり」の話ですが、人形はきつねの人形のみで、後は、なっちゃんが一人で何役にもなり、50分語るのです。小さい子ども達には、内容も難しい部分があり、長ーい語りで、大丈夫かな?と心配していましたが、最後まで、なっちゃんの魅力的な迫力のある語りに、話の中に吸い込まれたかのように、笑ったりじっと聞き入ったりしながら、見られた姿に感動しました。大人は、キツネのおこんが、ばばさまの身代わりで、最後亡くなってしまう所では、涙がでましたが、子どもたちは、神妙な面持ちで、じーっとその場面を見ていました。きっと、何かを感じてくれたことでしょう。命・生きるということを、なっちゃんが、真剣に語って下さったおかげで、いい作品に又出会う事ができました。ありがとうございました。

  キツネの浄瑠璃で、病気や災難を助けて解決してくれるのですが、おもわずキツネのじょうるりで、東日本の災害を何とか出来ればいいのになぁーと思わずにはいられませんでした。又今日も、地震があり、いつになったら、安心した生活が送れる事やら、祈ることしかできない事に、もどかしさを感じる毎日です。

表情と身のこなし、凄く良かったです。きつねも生きているようでした。むずかしい内容を子どもにもわ かりやすく仕上がっていまし。縄が置いてあると思っていたら、馬だったのですね。人から人、きつねに変化するところ違和感なく観れました。また、観たいです。(年中児の母)

一人なので動きなど限られているはずなのですが、さまざまなことを表現できることに感心しました。メッセージもよく伝わった(大人にも子どもにも)と思います。

背景セットも自然な感じで、にじみ出てくる人柄とっても良かったです。ありがとうございました。

きつねの声がかわいかった(複数)

きつねがかわいくて泣ける話しでおもしろかったです(5年男子)

お一人で何役も演じ別けるという、その声、表情。動きにぐんぐん引き込まれていきました。

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たまごとおじさん 2008年2月【名古屋市内保育園保護者から】

「観劇の感激 一『生き抜く力』への信頼一 」 劇団「なんじゃもんじゃ」は、劇団「うりんこ」からお二人で15年ほど前に旗上げされた劇団であり、女性のかた(「なんじゃさん」)はもともと、松栄保育園の保育士さんだった方。言葉と身体の使い方が非常に巧みで、見ていて清々しく、気持ちがいい。子どもはもちろん、私たち「オトナ」のこころもぐいっと惹きつけて離さない。

 さて、今年度の公演は、園児や先生方が参加する「あそぼ」と、劇「たまごとおじさん」の二部構成。まず園児たちが食いついたのは、「なんじゃもんじゃ」という「音」の繰返し(なんじゃもんじゃ、こんなもんじゃ♪・・・云々)。これだけで既に大爆笑。随分と大きく見える「あやめさん」の子どもたちが大笑いしている姿に、私は少し驚きながら、園児がそれぞれ目を見開き、お友だちと顔を見合わせ、身体をくねらせて笑っている姿に、嬉しくなった。「なんじゃもんじゃ」さんは、登場したその瞬間に私たちの心を緩くそして確かに掴みとった。

 前半の全員参加型「あそぼ」の中には、スケッチブックに「線で描かれた絵」を子どもたちに見せ(90度や180度、回転させたりもして)、「何にみえるか、何が見えるか」を問うものがあった。ちびっこ各々が大声で「見えたもの」を叫ぶ。お決まりの「正解」なんてないはずなのに、私たち「オトナ」は相手が予期しているであろう一つの「答え」で満足してしまいがちだ。しかし子どもは沢山の《答え》を際限なく「見つけ出す」。ほほえましくもあり、羨ましくもある。

 また、数字が記され、各面に穴が開けられた「仕掛け」のあるサイコロを使って(こういった小道具が「手作り」で温かいのがまた素敵!)「前に出て、○○ をやりたい人!」と聞かれて、大声で「は一い!」と手を挙げる子、声は出さないものの身を乗り出して手を必死に伸ばして挙げている子、つられて手をあげちゃったような感じの子、手を挙げずに周りを見回している子、うつむき加減の上目樋いでモジモジしている子・・・色ん子がいるけれど、ひとたび舞台に出て行く子が決まると、皆の気持ちが見事にまとまり、一致団結して全員が懸命にその子を応援する。この各自が主張する「とき」、集団としての纏まりの「とき」、それぞれの「とき」を心得ている子どもたち、そして、子どもたちの気持ちに沿った「とき」を創る力を引き出し、きっかけを与える「なんじゃもんじゃ」さんの双方に感激し、また、このような子どもたちの様子から普段の保育実践を想い、先生方への感謝の念を強くする。

 

 「KY」として「空気が読めない」人を排除しようとする今の風潮とは逆に、皆の愛情と思いやりに支えられた集団としての心地良い「空気」が自然に形成されているような、そんな状況を私は「美しい」と思う。ここで、少し我が子のことを書くと、何回かあった「○○をやりたい人!」の際、息子は最後の一度だけ、こっそりと小さく挙手をした。それは「もんじゃさん」(「なんじゃさん」の相方=男性)が郵便配達夫になって、絵のついたカードを配っているときのこと。その「郵便配達夫」が短髪の男の子の絵が描かれたカードを手に、「こんな男の子はいないかな一」と客席を探していたときに、彼はこっそりと手を挙げた。結局のところ彼は選ばれなかったが、私は「照れ屋」の息子が控え目であったものの自らの意志で挙手したことを喜ばしく感じると同時に、彼が「選ばれなかったこと」を貴重な経験だと思った。そうやって「集団」の中で、仲間との関係の中で、「社会」の中で生きてくんだろう。いつも自分の「願い」が叶うわけではないけれど、それでも倦まず腐らず、積極性を忘れずにまた「手を挙げ」て欲しいと思う。

 話を戻そう。「もんじゃさん」が、先に挙げたサイコロの穴から出ている紐を引っ張り、そこから可愛い「たまごとおじさん」の人形が出て来きたところで、後半の劇の幕開けだ。このスムーズな後半部への導入は圧巻だった。

 後半の劇は魔法使いの「おばあさん」と通りがかりの「おじさん」が出会い、「魔法のたまご」を介して「おじさん」が子どもにかえり少年時代の記憶の中で遊ぶ、というお話。この再現された「想い出」は、最終的にはハッピーエンドになるものの、そこには楽しいことや嬉しいことばかりではなく、怖いことも辛いことも、悲しいことも切ないことも詰まっていた。劇の後、劇団のお二人と保護者、先生方との交流の時間に「なんじゃさん」がおっしゃっていたように、「子ども時代は楽しいことばかりではない」。だから、劇の中に心が痛むような事柄も敢えて取り入れ、表現していたのだという。しかし子どもは、そういった辛い局面に遭遇しても、強く、邊しく「生き抜く力」を持っている。「保護」の対象とされるような弱くて壊れやすい側面だけでなく、お友だちと同じ方を向いたり、向き合ったりしつつ、「体」と「心」でぶつかり合う関係の中で、また「言葉」によって傷つけられ、慰められながら、それら全てを意識的無意識的に成長の糧にして行ける力をも内に秘めているのである。以前、「流行語」のように使われていた"幼少期の「トラウマ」(心的外傷)"のみに規定される人生なんてものはあり得ず(もちろん、環境も幼少期の体験も人格形成に大きな作用を及ぼすものの)、そういった「トラウマ」さえも、乗り越え、組み換えていける力、自らを自分の人生の「主人公」として、与えられた環境を主体的につくり変えていける大きなエネルギーを有しているのだと言えよう。

 この子どもの「生き抜く力」への全幅の信頼が、「なんじゃもんじゃ」さんの作品の底流にある。この子どもへの「信頼」と「期待」を、ひいては、この世界に存在する命あるもの、ないもの、全ての生命と事物への深い情愛を基盤とするからこそ、切ないながらも明るい、明るいがゆえにかえって切なく心に響き、長く印象に残る公演が創りあげられるのだろうと思う。

 私が鑑賞させて頂いたのは今回で二度目になるが、15年の長きに亘って公演を重ねられているにも関わらず、昨年度とは趣を異にされた構成の手法を考案され(言うまでも無く、昨年度も素晴らしかったが)、発展的に変化を遂げていらっしゃっている姿を垣間見ることができ、表現者として、芸術家として、現状に甘えることなく精進される、その生き様が、シンプルだけどもシビアに価値判断をする「子ども」の前で堂々と、そして対等に向き合える所以なのだろうと感じた。ご多忙のこととは思われるが、くれぐれもご自愛され、より多くの子どもたちが「なんじゃもんじゃ」さんに出会ってくれることを、そして各々が何かを感じ取ってくれることを切に希望する。

 次回はどんな作品を持ってきてくれるのだろうか(来年度も園に来て頂けますように!)。持ち込まれた作品は、子どもたちとの対話の中でどのように彩りを増すのだろうか。今から楽しみで仕方がない。

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きずだらけのリンゴ 2008年5月19日 豊中おやこ劇場

豊中おやこ劇場 機関誌『きんもくせい』から

 2008年5月17日 例会「きずだらけのリンゴ」の感想・・・『きつね』 T・Yさんより

 「相手のことを怖いと思ったら、術は効かなくなるよ・・・」という様なセリフがおしばいの始まった頃にありました。なにか不思議なことを起こそうとする時には、それをしようとする本人は、自分のすることを信じていなければ、その不思議なことは起こらない、ということを表しているんじゃないかなと、僕は思いました。

 主人公2人は出会ってからすぐには、どんなことも言い合う仲にはなっていません。少しずつ、急いで一気にではなくて、自分のことを相手に伝えたいと感じた分、お互い伝え合っていきました。そのゆっくりとした関係の中で、ゲンタは自分の弱いところ、1番知られたくは無いところを残して、女の子と仲良くなっていきます。そのことを知られてしまえば、「自分はそれまでその女の子と共有できていたものを、全て失ってしまう」、そうゲンタが思ったのも、女の子の「タヌキなんて嫌い」という言葉を聞いていたことからしたら、しょうがないと思いました。全部は話さなかった。でもたぶん、それは正しいのかもしれません。自分を守るために。そして、本当はタヌキのゲンタは人間に化け続けることを決心します。その最後の秘密を守るために。それも、相手との関係を終わりにしたくないという、自分だけの勝手な思いかも知れないけれど、素朴な思いなので、相手に本当のことを伝えてはいない、ということを差し引いても、1つのあり方でいいのかもしれません。でも、僕が気になったのは、ゲンタは人間でいようと決心するけれど、その時、化け続けるのはとても疲れて、ずっと続けるのは無理、ということをゲンタが知っていたことです。その瞬間、2人の関係には、もう終わりのあることを感じていたんだと思うと、すごく悲しかったです。どうなるんだろ・・・。

 最後、女の子がとても危険な状態になって、助けるには、ゲンタの最後の秘密を明かさなくてはいけなくなって、女の子を助けるのと引き換えに自分はその子の前から姿を消します。せっかく1つずつ積んできた思い出を、その時にはもうバラバラにするつもりだったんだと思います。そして、最後に女の子の誕生日に、2人の思い出のリンゴを家の前に贈り物として置いて、その子には知らせないまま山へ戻ります。でも、ゲンタがタヌキだということを知った後も、女の子はゲンタのことを嫌いになんかなってはいませんでした。そう思うよりも、リンゴを見つけた女の子は、化かすタヌキはきらいだったのに、ゲンタに会いに一生懸命追いかけて行きます。「相手のことを怖いと思ったら、術は効かなくなる」このことを、ゲンタは自分でそう思っていたかどうかはわからないけれど、ずっと忘れずにいたんだと思います。「不思議な術が起きる時は、相手のことを信じている」これが最後に感じたことでした。もちろん、簡単なことじゃないけれど。

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